韓国の辱-4 辱に溺れる

2012年に韓国教育放送EBSが放映した青少年の辱に関する番組があります。その中で辱を使用する理由をこのように分析しています。

習慣26%、他人もしているから18%、ストレス解消17%、親近感を得るため17%、虚勢8%などとなっていました。習慣と他者依存を特別な理由なく使用するものと見るならば、辱を使用する半数近くはこれといった動機を持たないでいるという結果です。であるならば、青少年の辱の主な使用理由はストレス解消と交友にあると見るのが妥当でしょうか。

番組では少し前までは辱を使用する学生はある程度限られており、辱を使用しない群れとは異なった集団を形成していたとのことですが、7年ほど前の当時でも73%の学生が辱を使用しているとのことでした。現在ではネット上の内容を見ると10人中9人以上が使用すると出ています。辱を使用しない学生は稀だということになります。

辱を学び使用する場は主にインターネットを通して行われるとしていましたが、オフラインでも十分に学び、そして使用しています。

専門家によると辱は情報の含蓄性が高く、それゆえ辱を多く使用する場合に語彙の減少がみられるとしています。学生たちに数分間、辱を使用しない時間を持たせると、会話がなくなりました。辱は紐帯感の持続している関係にあっては親近感を増幅する役割までも担います。一般的に心的距離の遠い人、初めて出会った人などには敬語を使い、親近感を増すにつれ言葉を崩しますが、卑俗語を使用することで更に親しさを表現することもできるということです。もちろん、卑俗語が耳に障る人同士ではあり得ませんが。

辱は刺激的な言葉なので、脳に与える影響が大きく、脳の反射的な感情の区域を刺激することから、辱に触れ続けていると身体まで衝動的、攻撃的に変化するそうです。

専門家は続けます。辱を通して感情表現をしている状況にあり、辱が問題なのではなく、辱が出るという症状の根源となる問題が本質であると。青少年を取り巻く環境が辱を通して表出していると。辱しかストレスを解く方法がない中で、ある学生は言いました。代案を教えてもくれず辱を言うなというのは無理な話だと。

このような青少年を取り巻く環境を映し出してみたときに、私の日常生活からは少し離れた、しかし思いのほか近い暗闇からこみ上がってくる造語があります。Hell Choseon헬조선ヘルチョソン、地獄朝鮮という言葉。지옥불반도チオクプルパンド地獄火半島という言葉も作られました。2015年ほどからだそうです。

就職難から不安定な所得、高い失業率や過激な受験戦争、公平な機会提供を阻む縁故採用などに対するたまりにたまった不満が噴出先を求めて表出しているのが辱であるとするならば、それを防ぐ道はないと思うのでした。

2019年のイシューとなっている韓国の前法務大臣の問われるところも、ご本人に対する様々な疑惑と共に子の不正大学入学・進学疑惑や兵役延期が大きく横たわっています。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、韓国では大学入試の日には小中高校が交通の利便のために臨時休学になったり、到着時間に間に合わなくなった受験生をヘリコプターで輸送したり、英語のヒアリングの時間には国を挙げて各種の騒音を減らしたりと、日本的には想像もできない熾烈な大学への入学闘争が繰り広げられていることが分かると思います。

これは大げさに表現しているのではなく、実際にこのような状況が起こるべくして起こる環境が造成されているといいましょうか。大学では専門性を身に着けよりよい就職先を確保することが安楽に暮らすには必須であると多くが考え、そのために命を燃やすように学問にかじりつくのが学生の本文となってしまっているのが現実です。一般の進学高校では夜9時や10時、11時まで学校で自習の時間を持つのが普通です。高校生の生活は朝食は自宅で食べる場合もあると思いますが大部分は朝抜き、昼食と夕食は学校で摂るというのが日常です。

もともと成績が優秀だった学生が成績が落ちたときに親からプレッシャーをかけられ、少しずつ親の期待に沿うよう成績を上げつつ、満足しない親のために死力を尽くして好成績を取ったのち、自殺したという事件がありました。もういいでしょう、という言葉を残して。

以前、このような状況を学歴偏重社会による離散家族現象と批判したことがあります。しかし、誰がこのような状況を好んで生きているでしょうか。誰もこんな風に生きたくはないのに社会がそのように構成されているから仕方なく社会に合わせ暮らしていることを骨にしみて感じているから、うな垂れて何の声も出せないのが今の私の現状です。

このような熾烈な競争を特定の特権的な状況により免れるなら、それはやはり多くの反感を買うしかありません。韓国では進学や就職、そして徴兵ということで本人のみならず家族構成員が、つまり国民のすべてが非常に痛みを感じているのですから。

辱を考えるうちに、こんなシーンが韓国の現在と重なりました。映画「風の谷のナウシカ」で汚染された地に生える毒を含む植物は、実は地を浄化するための存在だということをナウシカは理解します。韓国の辱も同様に、それ自体は毒を含んでいますが、社会の澱のようにたまり続ける鬱憤を空中に放ちながら根本を浄化しようとしているかのように見えてくるのです。これは辱を肯定的に評価したいというよりは、そのような一面が少なからず存在するであろうという提示です。

生きる鬱憤を辱で発散して生きている韓国での生というもの。辱の海の中でおぼれるような社会環境の中でこれから韓国はどのような道を選択し歩んでいくのでしょうか。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中