韓国の辱‐2 虚勢と女性の辱

韓国の辱の機能、感情表現については述べたとおりです。では虚勢を張る際の辱とはどういう意味なのでしょうか。これは荒い言葉が人を「男性的」に、ある意味「かっこよく」、「強く」見せるという部分で十分ご理解いただけると思います。

日本語は男性表現と女性表現のある言語体系ですが、「てやんでえ」「べらんめえ」「きさま」などは主に男性が使う相手を威嚇しののしる言葉、つまり辱に該当します。このような言葉を韓国ではしばしば女性も口にします。

日本的な目で見ると半島の雰囲気として男性も女性も非常に男性的な側面を持っているように感じます。女性も普通にあぐらをかき立膝もしますし、激しい口げんかもします。私は日本では外で大声で喧嘩したことはありませんでしたが、韓国ではご近所に響き渡る大声で喧嘩したことがあります。

その時の気持ちと言えば、このとんでもなく悔しく不当な状況にあってずる賢い相手を滅多打ちにし、こちらが強い立場であることを認識させ、自分が勝たねばならない、そして他人もけ喧嘩するときに大声出してるし、この際、私もやってやる、大声で相手を辱めてやる、そんな思いが突風のように頭を駆け巡ったのを覚えています。道端で大喧嘩をする人たちの思考と言えば、こういった思いとそう変わらないのではないかと思います。もう10年ほども前の出来事でしたが、その当時の私はまだ辱が口から出てくるほどに鬱屈が体の中で「こなれて」いませんから、理論的に相手を責めたものでした。

さて、辱を口にする女性というものを考えてみようと思います。

日本における女性とは男性より小柄でか弱く出しゃばらず、可愛さを良しとする雰囲気があるように思います。竹下夢二の女性像を代表格に挙げたいと思います。黒田清喜の描く女性たちを見ても静かさや落ち着きを感じさせるもので、日本的にはこういった女性像を好むことが分かります。

それに比べて韓国では女性にも身長の高さを求め、気持ちよく食べ、聡明で家事に長ける女性を断然好みます。韓国では「妻」「母」としての役割も重要ですが、「嫁」としての役割が女性の価値に非常に大きく影響します。それは以前にも述べましたが、個人というものが家庭や親族に非常に大きな重みを持ち帰属する慣習があるからです。「女性らしさ」に関する概念が日本とは全く異なるのです。

我が家の場合では私は三男の嫁で、本来ならば親族においてあまり重要な位置にはないのですが、両親を養っていたという点では最も重要な位置にありました。現在では義父は養老病院におられますが、それでも義父と共に暮らしてきたこと、そして現在も常に養老病院に面会に通う立場にあって、義父母を中心とした一族における孝道の一切の期待を私が負っているという事実があります。私がいるので他の家庭が父母を任せて安心できる状況です。

勿論日本でも同様の状況があり得ると思いますが、韓国においては長男に責任が集中するので、親と離れて釜山に住んでいる長男夫婦としては本来は自分たちが果たさなければならない責任を三男の家庭に任せているのが済まなく、常に感謝する気持ちを表しながら私に接します。

男性が外でどれほど威張っても家庭を支えていくのは女性なので、女性が非常に重要なことを誰もが知っています。韓国は男系の血族主義であり、女性は嫁げば嫁ぎ先の人になるということで、家系における女性というのは「嫁」を指すことになります。韓国では「よくない嫁が入ってくると一族が滅びる」という意味のことわざがあるほどに、一族を意識し、嫁に対する視線に重みがあります。

ですので、嫁として賢く立ち回れる女性を好むもので、一昔前までのドラマの普遍的な主題は「愛し合う二人の上にのしかかる親からの不許可」というものでしたが、要するに家に入る女性は親の目に適うべき、という構造は、もちろん儒教の孝道という観点で当然でもありますし、結婚というものが二人だけの問題ではなく一族の問題である現実があるからなのです。一昔前までしても親の反対で結婚できなかったという場合がどこにでも存在していました。私の甥もそんな一人です。

結婚というと義父母までの世代は親が子の結婚を決めるもので、ある時親が誰々のところに嫁に行きなさい、と言うと当然そうするものでした。親の望む結婚をするのが孝行であると韓国儒教では教えているのです。こういった時代には自由恋愛というものが羞恥であるという概念があったそうです。当然親の決めた人と結婚するもので、お輿に乗って着いたところで初めて夫となる人と会うことになります。相手がまだ子供だったりする場合もあり、そういう場合は成人するまでその子を育てるまでしたということです。男性側からすればある時、どの村に住んでいる誰々という娘と結婚しなさい、と言われ、婚礼式の日に初めて会うその女性と夫婦の契りを交わし暮らした、ということです。

これが1930年代生まれまでの典型的な婚姻形態で、これが1950年代生まれになるとお見合い、自由結婚というものが半分を占めるほどになっていたそうです。それが1980年代生まれで親の決めた人と結婚したという人はほぼいないと思います。この世代は基本的にお見合いや恋愛などの自由結婚ですが、親に気に入られなかった場合にその不許可をどう撤回させるかに腐心した世代です。

個人が幸せなら良しとする現代の日本とは異なり、このような儒教的風潮の中で女性に対する社会的な期待が「嫁」という立場に集中するところが決定的に理想の女性像の違いをもたらしているわけです。かわいい女性より、かっこいい女性、それが韓国的な好みです。しかしこの構造も核家族化の社会的雰囲気の中で変化していっていることを感じます。

テレビを見ていても女性の口から虚勢や感情表現としての辱が出てくるのを目にするのですが、女性観の異なる韓国では女性の辱に対して日本ほど敏感ではない雰囲気があります。文章を書きつつ気づいたのですが、とても親しくしている妹のような韓国人女性がいますが、彼女も感情が傾くと口から辱が次から次へと出てきます。この文章を書くまでは彼女が辱を普段口にしているということに気づかないでいました。それほどに生活の中に辱が特別の感覚を持たない程に溶け込んでいるということに私自身も驚きます。

さてここで「べらんめえ」という言葉の持つ罵倒力が韓国の辱に比べてどれほどの威力を持っているかという点を考えてみます。

皆様は「べらんめえ」と聞いたときにどのような反応をされるでしょうか?江戸時代の人なら侮辱されたと思って腹が立つかも知れませんが、現代におけるこの江戸言葉は時代を表す一つの言語として軽快さや面白さを表現するのみ、罵られたと思う人はいないと思います。語気からしても韓国の辱と比べると威勢が良いだけで罵るという力量では大変劣るもので、こういった江戸言葉はむしろ「虚勢」や「勢い」という観点での役割が大きいように思います。

韓国の辱‐2 虚勢と女性の辱」への2件のフィードバック

  1. 虚勢を張ることの馬鹿らしさを知るようになって結構な時間が経つと思います。
    虚勢は、自分の価値を落とし、成長を止め・・

    実は、うちの父親は、虚勢なのかどうなのか、自分をよく見せることの好きな人で、それが嫌いでした。身内ですから、実質と虚の差を知っているので、その格好悪さをいつも目にしていたせいでもあります。

    そのせいか、韓国人の大げさに言う文化は、いまだに嫌いです。「事実をちゃんと言え」といつも思います。

    ただ、うちの父親の場合は、虚勢をはって、その分、その虚勢に近づく努力をする人でもあります。虚勢を実質が越えたことがあると、感じたことはありませんが。

    虚勢とは、自分のなりたい目標を知っていることにもつながり、長短所あるようでもあります。

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    1. かふぇらてさん、しみじみしてしまうではないですか。私も虚勢が好きではないのでそういうのを見ると心がこわばってしまうんです。

      ここ、ハフェマウルの仮面舞でも両班と学者のやり取りの中で大変な虚勢を張るんですけど、そんなに一生懸命自分を大きく見せてどうするのかな…って。虚勢を張るというのは自分に足りないことを感じているからそうするんだと思うとしんみりする気持ちにもなりますが、そんなこと何の必要もない世の中になったらいいなってふと思います。ありのままで恥ずかしくない私とあなた、そういう世の中に。

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