2019.8.17の昼 秋のおとずれ

この季節、朝夕やお休みの日には庭に出て、私の意図の外で成長する草たちと対面し汗を流すのが私のルーティンです。毎日、目を覚まし玄関からベランダに出て庭を眺め、普段ならそのまま庭に出て草引きをするところですが、今朝は昨日より弱まったお日様の陽がとてもとても嬉しくて懐かしくて、ベランダの椅子に座って子犬たちと遊んでいました。

私が昨日よりも365分の一日分をお日様から遠のく分、シドニーにいるお友達はそれだけお日様に近づいているんだなあと、野生のインコが頭上を飛ぶという南半球の都市のことを思いもし、また、エディンバラからの便りでは今年は程よく暑くもなく寒くもない過ごしやすい夏だったというけれど、これからどんどん寒さを増していくんだろうなあと思いもし、季節の移ろいに思いを馳せる朝を過ごしていました。

韓国の「伏」という概念は全くもって素晴らしい知恵で、夏の暑さを暦の上で区切り過ごすことで季節に対するリズム感をもって暑さをしのぎ収めるというものです。去る11日が「末伏」だったのですが、驚くことに昼間は暑かったものの、それまでとは異なる涼しさを含んだ風が吹いていました。秋の訪れをかすかに感じさせる夕べでした。

「伏」とは…コトバンクより引用ーーーー

一般には、夏至後の第三庚(かのえ)を初伏、第四の庚を中伏、立秋後初めての庚を末伏といい、その初中末の伏の称。五行思想で夏は火に、秋は金に当たるところから、夏至から立秋にかけては、秋の金気が盛り上がろうとして夏の火気におさえられ、やむなく伏蔵しているとするが、庚日にはその状態が特に著しいとして三伏日とした。

ーーーー引用ここまで

説明を読んでも何のことかよく分からない…というのが私をはじめとする多くの方の感想ではないかと思いますが、 要するに、夏至や立秋を基点としてのある期間を指す概念と捉えればいいようです。

秋の訪れをかすかに感じてから1週間ほど経った今朝は、昨日よりもぐっと秋らしいお日様との距離感の中にありました。お日様から遠のく喪失感といいましょうか、何か一抹の寂しさと共に嬉しく懐かしい季節の始まりを期待させるに十分な涼しさでした。秋生まれのせいでしょうか、私には秋はいつでも懐かしいのです。

夏の暑さの中では追われるように飽くことなく時間さえ許せば草引きをしてきましたが、その強迫観念にも似た思考から地球星の地軸の傾きの恩恵分だけ僅かに遠ざかった余裕を感じ、今朝はそのはみ出したような季節感を楽しんでいました。もちろんこれは小休に過ぎず、目の前に広がる草畑はそのままに私の手を待っているのですが。

ベランダに這い上がって優しい甘い香りを放つガガイモ。田舎の風景に似合います。それにしてももうちょっと耳障りのいい名前にしてもよかったでしょうに。

あまりにも忙しく過ごしてきた夏の日のトンネルから抜け出そうとするかのような瞬間に、飼い犬のフリューリンクとビリーを改めて膝にのせて見つめてみると、何かこの世の風景とは違った画像が目の前に広がっているように感じられました。その間、こんな小さなひと時さえ持つすべも知らずに過ごしてきたんだなあと。

数日前の写真。フリューリンクはコーギーの雑種。灰色のビリーは3週間ほど前に突然迷い込んできた子で、テリアの雑種のようです。

うつろいゆく季節、一時もとどまらない80億近くの瞬きのさなかにありながらふと切り離されたかのような早朝のワンシーンを経、そして、また、「生」のルーティンのなかに没頭するんですね。

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